1日で何かが劇的変わらないけど、1日1%でも前に進めば、1年後には何かが変わる

こんにちは
セイクリッドハートヨガ7期の「たかお」です

先日、RYT期間 最後の60分テストを終えました。
“瞑想の良さを伝えたい“というテーマでレッスンを作ろうと思いたったまでは良かったのですが、言葉にすること、レッスンにすること、人に伝えることの難しさに直面し、壁にぶつかり思い悩んでいました。
そんな時に、トレーナー メントー 同期のみなさんが、利他の心をもって「言葉」・「かたち」になっていないものを具現化する手伝いをして下さったおかげで、無事に合格することができました。
まずは、この場を借りて、お礼をさせてください。 「心から、ありがとうございます!」

ここからは、SHYで学んだことのシェアです。
ヨガを行っていると、目に見える効果のポーズや呼吸法によって“身体や心が健康になる”ことが目的となりがちですが、本来の目的ははるかその先にある“三昧”という境地だと教えにはあります。
“ヤマ・ニヤマ(倫理的な戒め)”を意識的に過ごし、“ポーズ”・“呼吸法”の実践を重ねて“心の制感”や“集中”する力を培うことと、“瞑想”をすることは車の両輪で、どちらかがだけでは本来の目的に近づくことは出来ないとも教えにはあります。
ぼくにとって、“三昧”という境地はまだまだ遠く未知なる存在です。
ただ、この3ヶ月RYTに参加をして、一緒に学ぶ仲間に囲まれて、学びに触れ実践をし、日々瞑想をしていると
「無意識を意識化」、「意識的なものを無意識化」の行って来いを繰り返し 「意識が研ぎ澄まされ鋭敏になっている」ような「意識が拡大していく」ような「自分の輪郭がハッキリ・クッキリ」したり「溶けて滲み出す」ような不思議な感覚の中を漂うような状態にアクセスするようになり
そんな感覚を繰り返し体感しているうちに「祈り」や「感謝」、「思いやり」の心が自然と湧いてきていることに気が付きました。
それは、ぼくが今 進んでいる道のりで「この方向で合っているよ」と後押しをして貰ったように感じています。
ヨガ的に過ごし、心と身体が調和をすることで、ぼく自身が整い、その調和された感覚が自然と溢れ出し波紋のように伝わっていく。
「ぼくのこころは空気のように」
残りの期間はわずかですが、「ここからが、スタートだと」「思いと行動を一致させる」を旨に、日々を丁寧に過ごしていきます。
Lokah Samastah Sukhino Bhavantu
この世界のすべての生き物、自然が幸せで、自由でありますように
最後までお読みくださり、ありがとうございます?